大浜熊野大神社 申酉朋友会 会長 杉浦正平さん

大浜熊野大神社 申酉朋友会 会長 杉浦正平さん
大浜熊野大神社 申酉朋友会 会長 杉浦正平さん
 愛知県碧南市は、お祭りが盛大なことでも有名です。特に「下(しも)」と呼ばれる大浜熊野大神社は世帯数も多く、市内の他の地域のお祭り野郎たちも、下の動向を気にかけています。その中心は厄年会。本厄、前厄、前々役、後厄などに分かれ、組織的に運営されています。昨年秋には、1歳年上の先輩たちがコロナ禍でもできる形でお祭りを運営し、花火も打ち揚げました。
 

なぜ今回の花火を打ち揚げたのですか?

 地域の方々も、私たちも、みんな楽しみにしているからです。私たちの大浜熊野大神社では、正月と秋に花火を打ち揚げます。私たちは令和3年の厄年なので、正月が終わったところですね。今年の正月のカウントダウンは、コロナの影響があるので、花火はやりましたが、例年実施している花火後の地域の方々へ色々な物を配る「振舞い」はやめました。代わりに、事前に地域内で配布していた整理券を、翌日に1日かけて交換する形にしました。

 いつもはカウントダウン花火と振舞いを楽しみに、多くの人が初詣に集まります。形を変えることで地域の方たちからどういう反応が出るのか不安でしたが、好評を得られました。実は、うちの地域は振舞いも餅投げもすごいんです。投げる餅には景品交換券が入っていて…、とにかくすごいんです(笑)そのため、従来は地域の人にもハードなイベントになっていましたが、整理券を配ることでいつも餅投げに参加出来ない方々に喜んでもらえることもできました。

 私は、お祭りは地域のへの恩返しという意味合いも強いと思っています。地域貢献と言うか。自分の父親も先輩たちもやってきたことだし、自分も含めて子供のころから楽しみにしてきたことです。もちろん、道中の行列や餅投げなどで主役の気分になることもありますが、地域に対するお礼じゃないけど、地域に対する気持ちがなければやらないんじゃないかと思います。他のメンバーには確認してないけど(笑)
 

準備で大変だったことや、工夫したことを教えてください。

 実は、コロナだから大変ということはなかったように思います。昨年、1歳年上の先輩たちが地域と相談しながら秋祭りをやってくれたお陰で、コロナだからどうこうという話は、地域の方々からも、警察からもあまり出ませんでした。先輩たちが練ってくれたやり方を引き継いでいて、雰囲気も想定できていました。

 やっぱ田舎だから地域の人たちが理解してくれるんですかね?(笑)私たち厄年以外にも手伝ってもらう人も多く、巻き込む範囲が広いので不安もありましたが、みんな賛同してくれました。その中で、地域のDNAというか、期待されている部分も多いと感じました。
 

花火を打ち揚げてみて、どうでしたか?

  打揚げ花火はもちろん良くて、みんな喜んでくれました。初めての手筒もやって良かったです。手筒はやる前は厄年会の中で評価が分かれていましたが、やった後はみんな喜んでいました。意外と熱くないんですね。秋にはもっと大きいの持つのかな(笑)

 今後は、節分が明けたら本腰入れて秋祭りに向かいます。花火とか、去年先輩たちがやってくれたことは最低でもやって、コロナ次第でできることを広げていきたいと考えています。昨年はできなかった餅投げ、行列もやりたいです。
 

これからの町やお祭りについて、考えていることはありますか?

 私たちのお祭りでは、伝統で何歳が何を準備するのか決まっています。例えば、爆竹を大量消費するので、小学校の養生や行列が通った道の清掃の係とか(笑)爆竹やるのは20代の本厄の子たちが中心ですが、自分たちも若い頃はやったので(笑)

 お祭りをやらない年が続くと、経験のない人が増えてしまいます。やらないと覚えられないので、心配ですね。コロナでやらないという選択肢もあって、それは楽だけど、自分たちも先輩から引き継いでいるわけですから、後輩たちの時にできないのではいけないと考えています。

 大変な苦労の中、コロナでも実施できる形を作り上げてくれた先輩たちには、とても感謝しています。それに、自分たちもやらなければならないという気持ちが強いです。自分たちも地域への恩返しとして、形を作り上げたいです。花火も餅投げも行列もやりたいし、やらせてあげたいですからね。

 愛知県碧南市は、お祭りが盛大なことでも有名です。特に「下(しも)」と呼ばれる大浜熊野大神社は世帯数も多く、市内の他の地域のお祭り野郎たちも、下の動向を気にかけています。その中心は厄年会。本厄、前厄、前々役、後厄などに分かれ、組織的に運営されています。昨年秋には、1歳年上の先輩たちがコロナ禍でもできる形でお祭りを運営し、花火も打ち揚げました。
 
大浜熊野大神社 申酉朋友会 会長 杉浦正平さん
 

なぜ今回の花火を打ち揚げたのですか?

 地域の方々も、私たちも、みんな楽しみにしているからです。私たちの大浜熊野大神社では、正月と秋に花火を打ち揚げます。私たちは令和3年の厄年なので、正月が終わったところですね。今年の正月のカウントダウンは、コロナの影響があるので、花火はやりましたが、例年実施している花火後の地域の方々へ色々な物を配る「振舞い」はやめました。代わりに、事前に地域内で配布していた整理券を、翌日に1日かけて交換する形にしました。

 いつもはカウントダウン花火と振舞いを楽しみに、多くの人が初詣に集まります。形を変えることで地域の方たちからどういう反応が出るのか不安でしたが、好評を得られました。実は、うちの地域は振舞いも餅投げもすごいんです。投げる餅には景品交換券が入っていて…、とにかくすごいんです(笑)そのため、従来は地域の人にもハードなイベントになっていましたが、整理券を配ることでいつも餅投げに参加出来ない方々に喜んでもらえることもできました。

 私は、お祭りは地域のへの恩返しという意味合いも強いと思っています。地域貢献と言うか。自分の父親も先輩たちもやってきたことだし、自分も含めて子供のころから楽しみにしてきたことです。もちろん、道中の行列や餅投げなどで主役の気分になることもありますが、地域に対するお礼じゃないけど、地域に対する気持ちがなければやらないんじゃないかと思います。他のメンバーには確認してないけど(笑)
 
大浜熊野大神社 申酉朋友会 会長 杉浦正平さん

準備で大変だったことや、工夫したことを教えてください。

 実は、コロナだから大変ということはなかったように思います。昨年、1歳年上の先輩たちが地域と相談しながら秋祭りをやってくれたお陰で、コロナだからどうこうという話は、地域の方々からも、警察からもあまり出ませんでした。先輩たちが練ってくれたやり方を引き継いでいて、雰囲気も想定できていました。

 やっぱ田舎だから地域の人たちが理解してくれるんですかね?(笑)私たち厄年以外にも手伝ってもらう人も多く、巻き込む範囲が広いので不安もありましたが、みんな賛同してくれました。その中で、地域のDNAというか、期待されている部分も多いと感じました。
 

花火を打ち揚げてみて、どうでしたか?

  打揚げ花火はもちろん良くて、みんな喜んでくれました。初めての手筒もやって良かったです。手筒はやる前は厄年会の中で評価が分かれていましたが、やった後はみんな喜んでいました。意外と熱くないんですね。秋にはもっと大きいの持つのかな(笑)

 今後は、節分が明けたら本腰入れて秋祭りに向かいます。花火とか、去年先輩たちがやってくれたことは最低でもやって、コロナ次第でできることを広げていきたいと考えています。昨年はできなかった餅投げ、行列もやりたいです。
 

これからの町やお祭りについて、考えていることはありますか?

 私たちのお祭りでは、伝統で何歳が何を準備するのか決まっています。例えば、爆竹を大量消費するので、小学校の養生や行列が通った道の清掃の係とか(笑)爆竹やるのは20代の本厄の子たちが中心ですが、自分たちも若い頃はやったので(笑)

 お祭りをやらない年が続くと、経験のない人が増えてしまいます。やらないと覚えられないので、心配ですね。コロナでやらないという選択肢もあって、それは楽だけど、自分たちも先輩から引き継いでいるわけですから、後輩たちの時にできないのではいけないと考えています。

 大変な苦労の中、コロナでも実施できる形を作り上げてくれた先輩たちには、とても感謝しています。それに、自分たちもやらなければならないという気持ちが強いです。自分たちも地域への恩返しとして、形を作り上げたいです。花火も餅投げも行列もやりたいし、やらせてあげたいですからね。
 


花火を打ち揚げた方たちへのインタビュー

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